座波流武術空手部 師範 田中静雄からのメッセージです。
武術空手はなぜ必要か
クラゲは波間に漂うだけですが魚は波を切って泳ぐ力をもっています。この泳ぐ力を統括しているのが脳細胞です。脳細胞は運動を土台とした全身の統括のための中枢器官として誕生したものです。魚類は進化して人間に到達しましたがクラゲは浮いているしかありません。学校は社会生活の基本や技術を教えます。法則性がありますから大勢で一緒に学ぶことができます。対して陶芸や、日本刀のような芸術品は簡単に作れるというものではありません。技能だからです。法則性がないからです。武術空手は技能です。頭を使って技を身につけるものです。その練習方法が座波流には構築されています。脳を使って泳ぐ魚と同じ道を辿って行けば脳細胞は変革されていくでしょう。結果頭が良くなるという思いもかけないことが起きるのです。身体を運動形態に置かず手足を動かさないことが続いたら脳に深みがつくられません。大切なのは脳に刺激を与え続けることです。二年もすれば武術空手をやって良かったと確信する筈です。文武両道とはこのことを言います。あとは皆さんに「わかるけどうさんくさいもの」「わからないけど凄そうなもの」を識別できる直感力があれば万全です。
武術空手はなぜ必要かU
生命の歴史の中で最大の出来事はくらげが目を持ったことです。どのようにして目をもったのでしょうか。くらげは葉緑素を持った植物プランクトンを食べていました。脳はまだないが消化管は持っている。吸い込んだ水を濾過して栄養をとることを続けるうちに植物プランクトンが持つ葉緑体をくらげのDNAが取り込みました。植物の光合成ができるようになったのです。この光合成の受動体は明暗の区別がつくようになり敵の襲撃を察知します。この光センサーが目になっていきます。一億五千万年後、目がカメラ眼に進歩した脊椎動物はエサを追いかけ生存競争の中で勝利していきます。武術空手における眼は防御の第一にあげられるものです。くらげも魚も防御することによって生きのびてきました。防御は生存競争と進歩発展に必須のものです。人間の眼は五感の発達によってその本質がつくられ、脳の中のカラダができるようになりました。人間はまだ成長します。見えてはいるが誰も見ていない。これを見えるようにすることが大切です。武術空手を手段として我々の眼は曇っていないか、磨きつづけなければなりません。
りきまないでやる
人間は悪いくせや習慣が体にしみ込んでいる。それを抜くために基本や型がある。正しい型をくり返すことで良いくせをつけていく。特訓というのは意味がない。すぐ消えてしまうからだ。毎日地道にやること、りきまないでやれるようになること、そういう学びをする事が上達の近道である。力を入れるべきところ、抜くべきところがわかってくる。りきまないでやっているといろいろなことがわかってくる。
「絶望名人」カフカの人生論
「将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。将来に向かってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは倒れたままでいることです。ぼくは人生に必要な能力をなにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていません。」
そういうぼくが空手によって立ち上がる
空手によって動じない心をつくるのだ
美しい姿勢がそれを可能にする
もう昨日の自分ではない
昨日までの自分を超えろ
前進だ、死ぬまで前進
生涯運動としての空手
芸術には感動を呼ぶという共通の根源が存在する。
武術空手は武の芸術である。
我々は人に勝つというレベルを超えて人に感動を与えるものを追及する。
学校を出ればスポーツから離れる人が多いがもったいないことだ。
武の道は年を取っても終わりではない。
絶対不敗の境地を求めて際限のない高みへと進んでいく心の道だ。
生涯運動としてこれほどふさわしいものはない。
スポーツと護身術
もしあなたが暴漢に襲われたらどうしますか。恋人をおいて逃げますか。会社の機密を奪われても黙って見過ごしますか。それで後悔しませんか。護身術は文字通り身を守るために学ぶものです。自分自身だけでなく、家族、友人、まわりの人達を守る術技です。そういうものを身につけたいと思いませんか。
護身術はスポーツ(競技)とは違います。スポーツは2本とられても3本とれば勝ちです。あなたが目をつぶされて「あしたは勝つぞ」と強がっても傷ついた目は元に戻らないのです。護身術はその防御こそを学ぶのであり、その瞬間が大事なのです。奇略をめぐらし、不意打をかけて、味方を守らなければならない。おわかりでしょうか。スポーツは勝つことが目的であり、護身術は負けないことを本分とします。やっとのことで勝っても自分も重傷を負ったら、とり返しがつきません。
これに対して、同じ空手だからスポーツでも良いではないかと、問いたい人もあるでしょう。これには、英文学と英会話で考えて頂きたい。英文学を学びたい人が英会話を目的とする教室に通うだろうか。
ともかく護身術はケガをしないことが肝要。だから防御は完璧を期さねばなりません。反則技も急所への攻撃も使わなければならない。スポーツの世界では反則でも、護身術ではそれが練習・研究の対象となり、受け技が上達していきます。同時に、こういういわば殺しのテクニックを工夫研究する武術ですから、心を厳しく律し、人間をつくることを重視します。結果、しなやかに、したたかに、しぶとく生きていく精神が養成されるのであります。